生い立ちとマクロビオティック

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病気のデパート

3才で結核性肺門リンパ腺炎・ひどい貧血、
5才で小児喘息、10才でリウマチ熱。
学校はしょっちゅう欠席で、初めての運動会は小学校4年生。
冬になればしもやけで歩けず、遠足に行けば足の裏が豆だらけ
「病気のデパート」と呼ばれ、病院の常連さんでした。

貧血を治すためと毎日レバーを食べ、食卓にあるのは栄養価の高いもの、肉、魚、たまご、牛乳、バター、チーズのオンパレードでした。
抗生剤、ステロイドなど沢山の薬を飲み、さまざまな治療を受け、
減感作療法(アレルゲンを毎日注射する免疫療法)してなお
次々に新しい症状、新しい病気が出てきます。
見かねて必死で模索した父が、発足間もない国立菊池養生園の竹熊先生に
出会ったのが契機でした。繁盛店だった化粧品店を、
マクロビオティックベースの自然食品店に切り替えたのが
1970年ころ、当時は「玄米菜食って宗教ですか?」といわれ、
両親+5人兄弟+祖父母の9人家族の台所は火の車でした。

身をもって知る好転反応

さあ、妥協のない父とそれを着実に実行する母のもと、厳格な玄米菜食生活がスタートしました。
小学校五年から高校三年までの八年間、時々の有精卵、たまの魚以外は全くの玄米菜食生活でした。
お弁当もシイタケのこげ茶~具の玉ねぎのほうが多い卵焼きまでの茶色一色のグラデーション。
後には家業を継ぐことになる、当時思春期の兄と弟も、当時は「こんな茶色い飯を食わせる家にいられるか!」などと心で叫びつつ叔母の家に家出したこともありました(笑)。
そしてわたしはといえば、波のように寄せては返す好転反応に苦しむことになるのです。

好転反応はセオリー通りにやってくる

高校生までは時折襲ってくるリウマチ熱と関節の痛みに混じって、いろんな症状が出てきました。何日も続く微熱でぼーっとすることが多かったかな?生理痛はひどく、経血は大量で血の固まり混じり、貧血でよく保健室に。
突然襲ってくる激しい腹痛でトイレに駆け込めば魚の煮凝りのようなゼリーに包まれたカチコチの硬い便がでたり、汗が臭くわきががありました。膝や肱、手足の指の関節周りに痒くてたまらない水疱ができたり、頭皮からふけが沢山出たり。また腿やウエストのくびれにたむしができたことも。幼いころから抗生剤、抗アレルギー剤、ステロイド漬けだったことを考えると、当然の排泄、排毒であったことは疑いないですし、のちにホメオパシーを学んでからは、「内から外へ」「重要な臓器からそうでない器官=皮膚へ」 抗生剤の排毒は関節と腸から。好転反応のセオリー通りのプロセスを踏んでいたことがわかります。とはいえ排毒、排泄って、超絶かっこ悪いものなのです。
この年だからこうして書けてもいますが、感じやすい思春期の女子には致命的ダメージの数々でした。

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